そういえば書き忘れていたけど、江戸にゃんこ展に行った時の、日本と西洋の違い、額。
西洋絵画は絵画も3D寄りで、絵画そのものの色合いが派手か否かに関わらず、
額縁も立体的で装飾的で、まあ裕福な家に飾られるような作家画家という背景もあってか、豪華、華やか。
日本の額装も、背景からすると豪華、床の間に飾られる立派なものなわけですし、ただ3Dの要素は薄くて、枠でさえも着物の十二単とか、そういう感性が大いに発揮されている気がありありとする飾り立て。柄on柄というのは、日本でこそ真価が見えると思う。柄の強い和紙に柄の強い和紙が重なって、隣通しなのに喧嘩してなくて、なおかつ絵も平面なのでそこまで強くないのに、ないひとつ喧嘩せず馴染んで一平面上に並んで掛けられているということの凄み。
じわじわ、ずぶずぶと
名前の好み、身長差、写真の印象、親友友人それぞれに全然違うコメント。
じわじわ、ずぶずぶと虜になっている。
何でもという訳では無いけど話さないでおこうと思ったシロップの話とか、話しちゃったのは、あんな無邪気な感じでもどことなく年上感あるんだよなあ、この人なら大丈夫の安心感というか。知的で頭良いしな。
反面、甘えすぎているというか。もうちょっと凛としているべきとは自覚あり。まだ1ヶ月半しか経っていないのにそんなにあれこれ見せても。日曜の終わりかけ、寂しい気持ちになるのは心からの本心、でも会う前から寂しくはない、終わりを予期させる私の悪い癖は発動しないし、この人なら住めるのでは?とか考えてしまう。この人なら、今ベタ惚れだからかな、昔もそうやって思ってたのかな、きっと。
恋心とか想いなんてじっくりと育ててなんぼで急ピッチで筋トレしていいことなんて何にもないって、別に失敗したことないけどきっとそうなんだろうなって思うから、ふっかけたりはしないけど、もっと一緒に居たいとは常思っている。
まあ今過ごす時間を伸ばしたら、あれ、なんか違う、疲れちゃうなって、その疲労感が感情に作用しちゃうからきっと良くない。
会いたいな。
日々の暮らしの
恋人なんていなくたって人生楽しいじゃん、と思ってここ2年過ごしてたけど、
いざ恋人と過ごしてみると全然違くて吃驚。
アウトプットの質も量も頻度も上がるのでインプットのそれもまた然りだし、
基準が自分軸に加えて恋人の好み軸が増えることによって判断が明瞭になるし、選択肢も増えるし、
やってみようかな、行ってみようかなの後押しになったり、
経験をシェアすることで忘れなかったりより楽しかったり、
日々の暮らしの多幸感が増えるし、お金の使い方も洗練され、なんならお小遣い稼ぎすらポジティブになっていたり。
とらやの羊羹
全部を話すのが正解なわけでもない。
ありのままでなくても、共有したいことを共有して、伝えたいこと伝えるべきことをちゃんと伝えて。
事前に情報入れるの、とても良かった。会話が広がる。
あれだけ和菓子の話したのにとらやの羊羹たべた話してこない彼のごみ箱を見て思った。
あんまり人と長くいるの得意じゃないけど私とならいいって、そんな感じのあの台詞、すっごく嬉しかったなあ。私も同じこと思えた数少ない人間だし。
自己開示なんて
自我が強いなんて思って勝手に自惚れていたけど、究極の自己犠牲臆病者なのかもしれない。
喧嘩しないのだってそもそも意見をぶつけたくないからであって。
自己開示なんて必要ないって思ってしてない、じゃなくて、できない、のかもしれない。
兎にも角にも、4時間じゃ睡眠は足りない。思考がマイナスベクトルに傾きすぎる。
愛される資格
あの頃みたいに、1ヶ月を今か今かと待ち望んでる。
次の約束までの中日だから越えるとは思ってても、釣り合ってない、楽しいって言ってくれてても楽しんでないって、そんな気がする。眼鏡で片鱗が見えた、お世辞は言わない感じはとても嬉しいしだとしたらの安心感もあるけど、それでもSEXのことも、昼間の会話の間も、私の知識見識の浅さも、年齢の差、学歴の差、というのは逃げで、学ぶ姿勢や賢さのモトみたいなの、焦って焦って焦って付け焼き刃みたいな知識をめいっぱい拾ってるけど、私に足りないのはそれを続けることそのものって自覚はしてるんだけど。言い訳。彼の話しぶりに阿呆みたいに頷いて感嘆して、喘いで、下手くそで、変に学び始めたら今度は披露して、マウントとろうとする未来がもう見えてる、ありありと。記事を読んでいたら遅漏なのは大半こちら側のせいな気がしてきた、情報が入るとAVでさえ見方が変わる不思議。ブツは握るものではないのねきっと。あと中出しはピル飲み始めてても駄目でしょう、体験済みそうだったのが余計。そうでない方が良いに決まっているのに、冷淡な人間だったら良いのに、ううんそうであってほしいって考えてる。裏切られたくない、完全に自己防衛。誕生日だって過ごしてくれて、これだけ時間もお金も割いてくれてるんだから状況証拠的には他にいない、そんなことする人には見えない、それなのにずっと疑ってて、疑惑を殻に閉じこもる言い訳にしてる。嫌われること?失望されること?恐れすら漠然。良い歳してそれでも良いよ、待つよなんてことにはならないのだと、言い聞かせたところで壁が溶けるわけでもなし、それでも叩き破る気にもなれず。とどのつまりはこの思考回路を巡らせるのが趣味。愛される資格などないのに、求めてる。愚か。
台詞が魚の骨みたいに
死にたいって思ったことないと話していた台詞が魚の骨みたいに引っかかっている。いかにも平然と、さらりと言っていたから本心なのかもしれない。
純度100の生き物を前にして、自分はなんてしょうもないものなんだろう、と思いつつ、何故好いてもらえているのか、それに私みたいなのに好かれているのってなんだかとっても不憫、ちっぽけに思えてくる。
根拠のない自信と勝ち気だけが取り柄なのに。
小さくなる気分、でも背が高くても足が長くてももっと華奢になりたい、座高だけ負けてて安心する。
100の純度は、果たして天然モノか、
それかあれだけ賢かったら見繕ってるか、大人な歳だし一周回って落ち着いてるか。 心の安寧を保っているのか、情緒不安定になりそうなのかもあやうい。
地獄楽。
どうせはまるだろうと思って、案の定はまった。最高。
べたべたの設定でずぶずぶにはまってる。
悲しませるようなことはしたくないから
何がどうではなく気の持ちようで浮気。
心ここに在らずという、でもだってそもそも貴方がYESと言わなかったから。
あっという間に大事にしたい人なので、悪いことは、否、悲しませるようなことはしたくないから、口先だけでごめんなさいだけどもう連絡はしないだろうなあ。
ちょっとハートを多用しすぎたなと反省。
距離
干物のような、化石のような期間が長くて、その割に人との交流はいっちょ前にあったので、本気にしないように、ならないように、適度に距離を置いて突き放したり他人事にしてみたりで付き合う人が多くて。いざ恋人となると発言に迷う。すんでのところで言葉を選び直す。上辺だけのかっこいいとかモテそうとか嫉妬しちゃうとかそういうのは恋人に言うものでもないし、好きとか会いたいの頻度も下手くそ。人生勉強と経験と学習と。